畳とその伝承活動に情熱をかける「たたみ工房ときわ」常盤 定俊さん

畳とその伝承活動に情熱をかける、東伊豆町奈良本の「たたみ工房ときわ」常盤 定俊さんにお話をうかがいました。

目次

自己紹介

当店は明治に東伊豆町の北川で開業し、昭和38年に現在地である東伊豆町奈良本に移転いたしました。
4代目の常盤 定俊です。
私は下田北高校を卒業し、埼玉にある畳高等職業訓練校にて修行してきました。
そして、平成3年に1級畳技能士を取得しました。
畳は日本で生まれた数少ない伝統文化であり、
玄関で靴を脱ぐなど畳があるからこそのしきたりが数多くあります。
そんな畳も、日本建築様式の洋風化及び海外産のい草使用の増加に伴い畳表を生産する農家さんが10分の1以下に減少し、日本文化として存続が危ぶまれています。

最近はfacebookを用いて、国産い草の良さを中心にアピール又、フローリングに合う、薄い畳及びカラー表や縁等をPRし、全国の畳屋の方々と畳の伝承活動にも力を入れています。

現在は、東伊豆町の20くらいの旅館や個人宅に畳を納品しながら、
地元の子供たちや外国の方々に日本の文化としての畳の伝承活動をしています。

仕事の内容と畳について

畳を見たことがあっても、その作り方を知っている方はほとんどいないかと思いますので、畳の紹介を簡単にさせていただきます。実は畳、他の建築部材とはちょっと違います。
畳の基本構造として、畳表・畳床・畳縁があります。畳屋はその部材をそれぞれ仕入れ、それぞれ縫い合わせ畳を仕上げます。また、畳は一畳一畳寸法が違います。そのため、各部屋の寸法を1ミリ以下の単位で寸分狂いなく測り製作します。
部材の一つである畳表は農産物です。果実や野菜等と同じように、普及品から高級品までいろいろあります。

近年では、30年ほど前から輸入され始めた中国産畳表(天然い草)が日本で使われている畳表の8割をしめるようになってしまいました。しかしながら、中国の畳表はい草の実入りがなく高温乾燥が多いため畳の表面が擦り切れやすいです。国産畳表の95%を生産しているのは熊本県八代市です。

先日、そちらまで出向き、自らい草を刈ってきました。自ら刈り取りとったい草を自分でつくる、それをお客様に納品。「きれいになって気持ちがいいね。思い切って替えてよかったよ。」この一言がやりがいです。

伝承活動について

先日は、商工会を通じて、外国の方々にワークショップを行いました。
スイスやチリ、中国など様々な国から20名くらいが集いました。畳の歴史・畳の構造・材料の品質の話をした後、実際に機械で一畳製作しました。

最後に、皆さんにミニ畳を作ってもらいプレゼントしたしました。
このようなミニ畳や畳の縁を使ってのコースターなど、こういった創作活動も畳を伝承していくための活動だと考えています。

Facebookページに動画もアップしてありますので、是非ご覧ください

子供たちのワークショップを開催

さらには、最近ではものづくりの一環として地元の小・中学校や子供関係の集まりのグループから畳の話をしてほしいという事で依頼があり年に数回畳の授業をしております。
色々と失敗などを繰り返し試行錯誤しておりますが、終わった後の子供たちの笑顔がすべてです。
はっきり言いまして日本の大人も畳の知識は海外の方や子供達のように初めて畳を見る方と大して変わりません。
このような活動を通して畳の良さをアピールしていきたいと思っております!
ここからは畳の歴史を見て行きましょう!

畳の歴史

奈良時代の畳 710年頃

存在する最も古い畳は奈良時代の畳です。「御床畳」(ゴショウノタタミ)という木でできた台の上に置かれたものが、奈良東大寺の正倉院に保管されています。

現在ある畳とは若干違いがあり、真薦(マコモ)を編んだござのようなものを5、6枚重ねて畳床とし、イグサの菰(コモ)で覆って錦の縁がつけられていました。
これを2台並べ、眠るときのベッドのように使用していました。

「古事記」にも畳の話は登場しますが、現在のござのようなものであったろうと推測できます。
794年から1179年には畳があったようですが、それ以前はこのようにござのような扱いだったようです。

平安時代の畳 794年

この時代の畳は権力をかたちどるものでした。現在のように敷き詰められたものではなく、必要な場所にのみ畳を置いていました。
貴族の住まいが寝殿造りになると、板の間に今で言う座布団の代わりに敷いたり寝具として家の中のあちこちに畳が置かれました。

鎌倉時代の畳 1192年~

平安時代では座布団のような座具であったり、寝具に使われていた畳がこの時代あたりから家の中の床材に移行していきます。
時代が変わり建造物の作り方が書院造になると、それまでは必要な場所にだけ置かれていた畳が部屋全体、床全面に敷かれるようになります。この時代の畳職人は「畳差」「畳刺」などと呼ばれるようになります。

室町時代の畳 1392年~

部屋全体に敷き詰められるようになった畳により、この時代のあたりから日本固有の正座がされるようになります。
正座も畳が部屋に敷き詰められるようになったために生まれた座り方だったのですね。この時代の畳職人は「畳大工」と呼ばれました。

安土桃山時代の畳 1573年~

安土桃山時代から江戸時代にかけて茶道が発展し、炉の位置によって畳の敷き方も変わっていきます。この頃から町人の家にも徐々に畳が使われ始めます。

江戸時代の畳 1603年~

江戸時代には役職として「御畳奉行」が作られ、武家などには大切にされ、将軍や大名には特に重要なものになりました。
畳が町民に普及したのは江戸時代の中頃を過ぎたあたりで、更に農村では明治に入ってから普及していきました。

長屋などでは長屋を借りる者が自ら畳を用意し、元から敷かれているものではありませんでした。そのために、畳はとても大切にされて、手入れをしながら長く使っていけるような知恵も生まれました。

それまでのイグサは野生のものを使用していましたが、本格的に栽培が始まり、江戸時代後期には畳を作って生業とする「畳職人」「畳屋」という職業としての畳職人が確立していき、庶民の家にも使用されるようになっていきます。

明治時代の畳 1868年~

それまでは畳の柄などに規制がかかっていましたがそれが解除され、明治維新後に一般社会に畳は広く伝わっていきます。畳を干して痛むのを予防したり、畳の表がやけてしまうと裏に返して使うなどの知恵で大切に使われていきます。

昭和時代の畳 1945年~

高度経済成長期と共に人々の生活も西洋風になり、和室に座る生活から椅子やソファに 座る生活へと変わっていきます。
カーペットなどが普及していきますが、それでも家の中は畳の部屋が基となっていました。

現代の畳 1990年~

フローリングが広く普及し、家を建てる際に和室を作ると障子などの付属するものが必要になって、家を建てるときのコストダウンのために和室の部屋が作られないことが増えてきました。
その反面、フローリングでは部屋の中が寒い、音が響く、落ち着かないなどのデメリットもあり、再び畳が見直されてきました。

フローリングの上に置くだけの置き畳や琉球畳が徐々に人気をだしています。科学素材なども使われるようになり、機能性も高くなって私たちが必要とすることに合わせて徐々に畳人気が復活してきています。